平民出世のディリータ・ハイラル国王が、荒廃を窮めるがイヴァリースを平定してから今年で516年目になる(註.1)
天照白書では今までイヴァリースの「本当の姿」について幾度となく研究と考察を重ねてきた。
そこで今回は、中世畏国研究の中でも、とりわけディリータ・ハイラル国王の就任とその後の軌跡や、獅子戦争終結の後日談について、これまでの資料を元に、天照白書として基本的に考えている姿を考察していきたいと思う。
※管理者註、この作品はまだ若干書き残した部分があります。作品登録の都合上、「公開しないよりは公開しながら修正していった方が良い」と判断したたため公開に踏み切りましたが、本稿の記述は今後多少の修正が入る可能性があります。
ブレイブストーリーにおいて獅子戦争の行方に関する記述は、Chapter4のオルランドゥ救出を境として急に少なくなっている。これはラムザの行動がそれまでの「戦争の制止」から「ルガヴィの撃退」と「アルマの救出」に大きくシフトしたことが主要因と考えられる。それにしても、ブレイブストーリー本編だけでは一体どうやって戦争が終わったのかという事すら分からない、というのはちっと投げやりすぎる気もしないではないが、そんなことを言っていても仕方がないので、少し考えてみよう。
まず、獅子戦争はいつ終わったのか。少なくとも噂話などを見る限り、ラムザが最終決戦に臨む時点ではまだ戦争は継続していただろう。一方、ブレイブストーリー「手にいれたもの」によれば、エンディングの中で出てくるオーランとバルマウフラのやりとりが行われた時点では、獅子戦争は終結した事が明らかになっている。アルマ・ベオルブの葬儀がいつ行われたのかは謎だが、オーランは「すまない遅くなったな」と話しているところからすると、一週間〜一ヶ月近く経過しているとみるのが有力だろか。アルマは遺体ではなく失踪者として葬られているため、葬儀が多少遅れた点についてはあまり問題にならないだろう。
つまり、獅子戦争の終結は、ラムザたちの最終決戦の一週間後〜一ヶ月後のうちにあったと考えられる。
次に終結時の様子についてだが、白獅子側にしても黒獅子側にしても、被害は甚大である。五地方の領主(ラーグ、ゴルターナ、バリンテン、エルムドア、ドラクロア)はことごとく死に絶え、調停を提案した教会も教皇から幹部まで全滅。戦争の発端となった王家も、ルーヴェリア皇后は幽閉されラーグ摂政は死亡、残されたオリナス国王はわずか3歳であり(後にロマンダへ亡命したことがブレイブストーリーに記されている)、つまり、一度でも名前が出てきてまともに残った有力者は元老院と黒獅子陣営の伯爵だけという凄惨たる有様である。
物語の転機となった水門事件時、ディリータの地位はどうだったのか。それまでの経緯を簡単にたどると
という具合になる。騎士団長ということは、状況としては北天騎士団団長のザルバッグと同じと言えるが、彼の場合ラーグに当たるような王家との繋がりが存在していない点がやや不利であった。ところが、水門事件によってゴルターナ公が謀殺されたことによって、彼が黒獅子陣営の最高地位まで上りつめたことは想像に難くない。
当然、ドラクロアのような早い時期に死亡した有力者の場合、後継者としてそれなりの人物が台等している可能性はある。あるいは、何らかの工作によってディリータの地位を失墜させようと企んだかもしれない。
しかしディリータはオヴェリアと婚姻することによって、正式な王位継承権を得ることに成功した。ディリータは決して『革命の使途』ではない。クーデターではなく正統に王の座に就くことが出来たのである。これは、傀儡政権樹立のためにオヴェリアを潜り込ませた元老院――という機関の権力がどれほどのものであったかは不明――にとって最大の失策であったと言えよう。
要するに、この時盤上にはもはや、ディリータに対峙出来る駒は残されていなかったのである。
このようにして、ハイラル家による新王朝はその第一歩を踏み始めることになる。とはいっても、その前途は決して明るいものではなかった。依然として治安は最悪の状況にあり、国土――とりわけ五十年戦争の爪痕を引きずるランベリー領の荒廃は深刻なものであった。そして何より、諸外国からの戦争借款を抱えていた。状況からしてみれば、五十年戦争終結直後より一層悪化していたわけである。
さて、そんな彼がとらなければならなかった、あるいはとらざるを得なかった政治とはどのようなものであっただろうか。
まずこの状況下でもっとも優先的に解決しなければならないのは飢饉対策であろう。獅子戦争時、黒獅子陣営の幕僚会議では、本年の農業収穫はどの地域を見ても絶望的であったと報告されている。それによって、ルザリアには10万を越す難民まで押し寄せてきた。
この場合、何よりも恐ろしいのは疫病の流行である。歴史を振り返ってみても、国家的な栄養状態の悪化はしばしば致命的な疫病の流行を招くことが知られている。最悪のシナリオは黒死病――つまりペストの流行である。中でも14世紀のヨーロッパで発生したペスト禍による死者は、全人口を3割にまで及ぶという凄まじい被害を出した。この時も、記録的な冷夏によって大規模な飢饉が生じていたことが要因のひとつに挙げられている。
あるいはそうでなくとも、ディリータは両親(ベオルブ家に仕える農家だった)を黒死病で亡くしており、悪疫の蔓延は何よりも嫌っていたはずである。
先の幕僚会議の話からすれば、当面の対策として食料をどこからか買い付けるのが一番良く用いられる手法と考えられる。しかし、購入となるとそれに必要な経費をどこからか捻出しなければならない。とはいっても、ここで安易に増税に走れば国民から一気に失望される。支出を切り詰めるために騎士団を解雇すれば治安が悪化する。
となると、残された財源は凋落した敗戦陣営の貴族から没収した財産を充てたのではないだろうか(幸い、没落貴族の数には事欠かない)。そしてこれは即ち、荘園制的な貴族制度そのものの解体にもつながり、後に詳述する絶対王政への移行へ大きな意味を持ったと考えられるのである。
本考察では、ブレイブストーリー最後――エンディング時――のシーン「手に入れたもの」で起こった事件を「血の誕生祭事件」と仮称している。
ブレイブストーリー内において、事件は獅子戦争終結数ヵ月後のオヴェリアの誕生日に起こった。その日は王女の生誕を祝う宴が催されるらしかったが、肝腎のオヴェリアの姿が見えない。ディリータはオヴェリアを探し回った末、町外れの遺跡で一人で(少なくとも画面内に侍女や業者の姿は見えない)佇むオヴェリアを見つけた。
ディリータは言うやっぱりここにいたんだな。みんな探していたぞ
しかしオヴェリアは答えない。ずっと彼方を見つめている。
ほら、今日はおまえの誕生日だろ? この花束を…
と、彼は花束を持ちながら彼女に近づいた。
その直後、オヴェリアはきっと振り返ったまま彼の腹部へ短剣(あるいはナイフかもしれない)を突き刺した。茫然とするディリータ。オヴェリアはかすれるような声で…そうやって、みんなを利用して! …ラムザのように、いつか私も見殺しにするのね……!
とつぶやく。
刃はディリータに致命傷を与えなかった。あるいは、無意識のうちに力が抜けたのかもしれない。突き刺さった短剣を引き抜くと、ディリータはそのままオヴェリアを刺し返した。落ちた花束の上に力なく倒れこむオヴェリア。ディリータは数歩歩いた後虚空を見上げ、…ラムザ おまえは何を手に入れた? オレは……
とつぶやき、その場に倒れる。
以上が、ブレイブストーリー内で語られる事件のあらましである。正直なところ、これによってディリータやオヴェリアが死亡したのか、存命したのかは分からない。一般に腹部に対する刺突は致命傷である場合が多い。これは消化器官の集まる腹部は血流量が多く失血量が多くなりがちである点や、腹圧によって消化器官がヘルニアを起こしたりするところから来ている。
だがしかし、公認本の解説によれば、ディリータは獅子戦争終結後長くイヴァリースを平和に導いたとされている。当時の時間的感覚がどのようなものだったのかは知る由もないが、数ヶ月では「長く」というには少々短すぎる。また、先項で説明した通り、ディリータ新王朝の正統性はアトカーシャ家の血脈によって成り立っている。数ヶ月と言うあまりに短い間にこの根拠が崩れてしまうことは、王朝が政治を進めていく上で極めて深刻な事態を引き起こしかねない。下手をすればまた内乱である。
以上の理由から、天照白書ではディリータ・オヴェリア両人生存説を基本的に支持している。
さて、辛くも最初の危機を脱したハイラル王朝は、その後どのような政治体制を整えていっただろうか。それを考えるために、まず現実世界のモデルといわれている百年戦争・薔薇戦争を見てみよう。
百年戦争に勝利したフランスの場合、戦争による封建諸侯の疲弊を呼び水として、組織効率の良い官僚制度の普及が推し進められた。これは従来の血縁による組織ではなく、現代的な「登用」と「能力による階層(役職)」のヒエラルキーによって構成される組織制度である。以後フランスは幾度かの市民革命と政権樹立が繰り返され、結果として多くの血が流されることになる(但しそれが今日の民主主義の礎を築いた点は忘れてはならない)
一方百年戦争に敗北したイギリスでは、王家間の相続争いから薔薇戦争の内戦が勃発し、およそ30年以上に及ぶ――イヴァリースの場合、最短なら一年で終結する――血みどろの争い繰り広げられることになる。
その後成立したテューダー朝は、封建貴族諸侯の凋落から相対的に王権が高まり、今日で言う「絶対王政」をいち早く確立した。
これらことを踏まえると、ディリータは官僚制の推進と絶対王政への移行を推し進めたのではないかと言う仮説が出てくる。まず没落貴族から没収した財産を使って騎士団を治安の状況を段階的に縮小し(この際、たとえば日本の明治維新時のような年金制を採用する可能性もある)、警察や役所にこれを再配置する。あるいは、特に戦争で功績を挙げた者は没収した土地を配布して地主にしてしまっても良いだろう。一方、従来の封建制度を廃し、諸侯を直接王に従わせる中央集権化を進めるだろう。有力貴族が軒並み凋落したこの時期こそ、絶対王政に移行する最大の好機である。
王室と教会との関係はどうなっていっただろうか。
獅子戦争末期、ヴォルマルフの謀計によって暗殺されたマリッジ・フィーネラル教皇の後任が決まったのは、オーラン・デュライが自身の見聞きしたあらゆる「真実」を記したデュライ白書をクレメンス公会議にて公開した年――獅子戦争終結から六年後の話である。これは換言すれば、六年もの間教会内ではトップ不在の状態が続いたと言うことに他ならない。そもそもトップはおろか、神殿騎士団長をはじめとしたかなりの数の重役が姿をくらまし、教会内の有力者は教皇とともに惨殺された。これによって教会権力の大幅な失墜は避けられなかっただろう。
しかしながら、デュライ白書の公開を恐れた教会は、その場でオーランを捕らえ「異端者」として火刑に処している。その当時はどうか不明だが、オーランはディリータ直属の部下であった時期もある。ディリータがそう易々と処刑を認めるとは到底思えない。
――と思いたいのだが、よくよく考えてみれば、デュライ白書には教会の悪事と同様に、ディリータが権力の頂点に上り詰めるまでの軌跡もしっかりと記されている。とりわけ、上官であったゴルターナ公の暗殺や、雷神シドとして国民の信頼の厚かったオルランドゥ伯の名誉を汚したことなど、ディリータの求心力に影響を及ぼす事実も多く含まれている。となると、ディリータはオーランを文字通り「見殺しにした」可能性も出てくる。いや、見殺しと言うよりは、オーランもそうなることを予見しながらそうやっていたのかもしれない。オーランはエンディング時に、ディリータへの想いを語っているが、そこにディリータに対する憎しみは見られない。尤も、あくまでも憶測の域を出ないのではあるが――。
となると、教会の力がどこまで有効であったか分からなくなってくる。イングランドにおいては、絶対王政への以降とともに早いうちから宗教改革が――と言っても、それはフランスなどに比べて幾分世俗的な理由によるものであるが行われ、旧来のカトリック教会を排し新たに「英国国教会」を制定し、イングランド国王を事実上の教皇とした。ハイラル王朝においても、従来のグレバドス教と一線を画した新しい宗教一派を確立したのかもしれない。
ハイラル王朝が長らく平和な時代を築き上げた後、イヴァリースは一体どのような変遷を辿ったことだろう。
イヴァリースは元々観光資源や豊富な土地である。また南洋貿易や呂国との貿易が発展すれば、イヴァリースにも本格的な大航海時代が到来するかもしれない。イヴァリースの航海技術については、国内に多くのサルベージ協会が存在することからも、航海技術はかなりの高水準であったと見てよい。
あるいは、ゴーグにおいての工業の発達も見過ごせない。当時のイヴァリースには教育制度が有力者の間で広く普及していたこともあり、科学技術の発達は今後一層加速するものと考えられる。たとえば、イギリスにおいて薔薇戦争が終結したのは14世紀末の話だが、ムスタディオやバリンテンが愛用した撃鉄による火打ち式の銃が普及するのは16世紀中頃の話である。蒸気機関の発明によって産業革命が起これば、鉱山資源の豊富なイヴァリスは目覚しい発展を遂げることになるだろう。もちろん、それによって新たな公害問題が発生し、ツィゴリス湿原は別の意味で「猛毒の沼」と化すかもしれない。
なお、イギリスにおいて産業革命が始まったのは18世紀からの話
魔法技術が今後どのような形で生かされてくるかも重要と言える。時魔法の研究が進めば、重力の発見や天動説の発見など、自然科学の発達に大いに寄与するかもしれない。ひょっとしたら、FF6よろしく魔導という形で工業との融合が実現すれば面白い。先の銃の例で言えば、後半に登場した「魔ガン」が大量生産されるようになれば、イヴァリースの軍事は大きく様変わりする可能性もある。
まあ、このようにいろいろと考察を進めてきたわけだが、当然、これは脈々と続くイヴァリースの歴史にとって、あくまでそれを形作る一ページに過ぎない。オーラン・デュライはデュライ白書の最後にこう述べている。
人間は何に幸福を見いだすのだろうか?
何のために今を生きるのだろうか?
そして、何を残せるだろうか?
ラムザが残したもの。ディリータが残したもの。それらはイヴァリースに脈々と受け継がれていることだろう。そして、それを見守ってきた私たちにとっても、ラムザやあるいはディリータは生き続けるのである。
――2006年 ディリータ・ハイラル生誕祭に寄せて
久樹 アマテル