友情

背中に隠したナイフの意味を、問はないことが友情だらうか?

最近更新された雑記

小ネタ数発

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気分がアレなので、瑣末な小ネタを書き並べてみる。

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ネットワークのことを「電網核」なんて言ふ人がゐるが、あまり好きな訳ではない。といふか、無理大杉であると思ふ。

コンピュータは電算機。ネットワークは、電気通信――電信――で宜しいではありませんか。WWWは国際電信網。まあ「逓信」なんて懐かしい言葉でも構ひませんが、とにかく電脳なんて変な言葉は止めた方がよいと思ふのです。

ハイパーリンクは、「参照」あるいは「連関参照」ぐらゐが限界。ただ、HTMLとかCSSとかになるとお手上げ。文書構造化言語ならXMLと重複するので、いっそ電信互換言語とか、その辺りだらう。CSSはもっと難しい。継承性出力指定言語……無理だ。某邦訳の滝状直列的様式規則なんてのは論外。

やっぱり技術的な用語は技術的な思想がある分、簡単には置き換へ出来ないと思ひます。

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「ラム座」でぐぐるともしかして: ラムザ と出力される。――まぢかよ。

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ミクシにて巷で流行りの「成分分析ソフト」を知って、あそびすぎwと言はしめるまで遊びまくった。せっかくなので明日公開できたら公開する。量が多すぎるので今夜はマーク付けする時間がない。眠い。

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そんなこんなで、ぼちぼち生きてゐます。

反対するには相応の覚悟が必要であるべき

諸事情により、かなり鬱屈してゐます。鬱屈指定記事。

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正直な話、現行制度に反対し行動を起こす連中は、現行制度を覆すために必要な覚悟が出来てゐるのだらうか、と疑ふことがある。

例へば、先の原発の運行さし止めの話でも、原発を止めれば、ぢゃあ後はどうすればよいのか、といふヴィジョンが全く欠けてゐると思はれる。よもや、新エネルギーなどとは言ふまい。所謂「新エネルギー」で最も将来が有望視されてゐる燃料電池でさへ、コストは原発の何百倍、何千倍である。その負担はどこから出てくるのか? ぢゃあ、それで消費税が20%になっても構はないのかと言へば、さういふわけでもないらしい。一体何が言ひたいんだらう。

あるいは、著作権の話。少なくとも、著作権が著しく脅かされてゐる今の状況は否定できない。海賊版が市場に溢れ、消費者もそれを求めてゐる節がある。性善説などではやってられない。コピー制禦は現状必要なのである。必要であるから、絶望なのである。久樹は、コンテンツ業界にもはや未来はないのではないかとさへ思ってゐる。

意見を言ふのは良い。現行制度を考へる上で、反対の立場から発言することは重要である。ただ、それに対して実際の行動が伴ってくれば、話は変はる。運動なりなんなり、行動するからには相応の未来像が必要である。何故今の制度があるのか、といふ理由を考へるべきである。HTMLにしても、保険改革にしても、道路事業にしても、何にしてもさうだ。今の制度が本当に害ばかりをもたらす場合――あるいは、益に対して害があまりにも大きければ、それは真の意味で反対行動を起こす意義がある。逆に言へば、そんな検証さへ行はずに反対行動を起こすのは、浅はか極まりない行為であると言はざるを得ない。

そもそも選挙制度って、そのためのものぢゃないのだらうか。反対運動を起こす覚悟のない連中が、その覚悟を持った人たちへ力を与へるために、私は選挙と言ふものが成り立ってゐると思ってゐる。要は、選挙制度は人が持つ保身の本性に則った責任転嫁制度なのである。

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FFTのゴルゴラルダ処刑場戦において、ガフガリオンは何かを成すためには“犠牲”が必要だッ!“犠牲”を支払わない限り、人は前へ進まない! 歴史を作ることはできないッ!と言った。そしてラムザは人を欺き、利用するところにどんな“大義”があるというんだ! 僕はもう、これ以上、“大義”のために利用され命を落とす人間を見逃すことはできない!と言った。

しかし、たとへこの時、ラムザがオヴェリアを救出できたとしても、戦争を止めることは出来ただらうか? あるいは、もし戦争を止められたとしたら、歴史は本当に良くなっていただらうか? ディリータ・ハイラルが畏国王の座につけたのは、他ならぬ獅子戦争の賜である。そして、獅子戦争後に就任したディリータ王が、腐敗した貴族制度を払底し、畏国を長らく平穏な国にしたといふ。本当に、あの戦争はなかった方が良かったのか? ――さう検証することは必要である。

そして結果論として、私はラムザの主張を支持することは出来ないと考へてゐる。

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以下本筋とは関係のない話。

Webで議論は向かない――かう考へる人間は多いが、私はさうは思はない。逆に、真の意味での議論は、Webを初めとした公的な場でしか成り立たないと思ってゐる。

正直なところ、私は顔見知りの人間に対して――それも、率直な意見を述べ合ふことを諒解してゐない人に対して――堂々と反対意見を述べられるほどの正義感はない。臆病で、卑屈で、怯懦な人間である。

公的な場とは、他人に対して一定の距離がある場だ。一定の距離がある限り、何の気兼ねもなく自分が正しいと思ったことを主張出来る。反論があれば、それを検証することが出来る。無意味な反論や詭弁であれば、そこで議論を切り上げれば良いだけである。後には、記録以外の何の後腐れも残らない。残すべきではない。

それを拒むなら、初めからさう明言すればよいのだ。「私は自分の意見以外の意見を聞く気はありません。嫌なら出て行ってください」と。このやうな態度は確かに問題かもしれないが、変に曲解し、嘲笑ひ、追放するやうな行為は、お互いにとって何の得もない。

Webは、アクセスが等しく容易であるし、ログも残る。もし真の議論と言ふものが存在し得るのであれば、Webはこれ以上ない、理想的な場であるはずである。――要は、日本人は議論が嫌ひなのだ。議論したがる奴は排除したいのだ。正義なんてどうでも良いのだ。ただ、自分の感情と符合する人と集まって、おもしろをかしく過ごせればそれで良いのだ。それが悪いとは言はない。私だってそんな節はある。だから絶望なのである。殆ど勢いで書いてゐるが、人間なんてものは自分を含めて知れば知るほど絶望の塊である。

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個人的な――大多数の人間には関係のない――話。金輪際、私は、FFT方面に向けて議論――意見や考察なども含む――をしかけることを一切放棄する。あの方面で必要なのは、議論ぢゃない、なれ合ひなんだと気づいたから。それで面白をかしく過ごせれば、十分ぢゃないですか。文句があるなら「無かったものだ」と無視すれば良いだけ。それなら、誰も傷つかない。下手に分かり合はうなんて考へが間違ってゐたのである。分かり合ふ必要などない。必要なのは楽しめるかどうかだ。同人方面なんて、それで十分なのである。嘆いてゐるわけではない。単に、久樹が今まで勘違ひしてゐたのが莫迦だったなあと思っただけである。誰も悪くない。悪いのは久樹一人だ。久樹がくたばるなり死ぬなり消えるなりすれば、何の問題も起きなかったのだ。久樹は、自分の意見を二度と言はない。いや、言ふだらうが、それは作品なりなれ合ひなりであり、議論のための意見ではない。脳内設定、脳内妄想、あるいは高天原の中での意見考察である。互ひに嫌な思ひをするのは、もうこりごりだ。

今更ながらはっきりと悟った。同人方面により良い道を摸索する必要はない。皮肉な話だ。世の中はディリータではなくラムザの考へる通りになるんだ。でも、私は刺し殺されても良かったのだらうか。刺し殺される覚悟はあったのだらうか。――まあ、結果として刺し殺されたわけなのだが、今の絶望を省みるに、どうやらその覚悟は足りてゐなかったやうだ。覚悟なき反論の末路がこれである。

正直、なれ合ひと殺伐が同居するさとみかん方面の空気は、今まで見て回った中で一番理想に近く、奇蹟の産物なのだと思ふ。奇蹟は二度も三度も起きないから奇蹟だと言ふのである。私は奇蹟を信じすぎてゐたのである。

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しかし、少なくとも私は、いついかなるときでも、それが建設的な意見であるなら、誰からの反論でも受けて立つ。それが、高天原の存在意義である。

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メールにてご意見を頂きました。ありがたうございます。

何故 今の制度があるのか? を考える必要があるならば、なぜ反対運動が起こっているかも受け止め、考えるべきではないのだろうか?

その制度がなくなった時の代償など 真に過酷な状況を強いられてる人間にとっては関係ないと思う。未来像があっても無くても 改善して欲しい。それを合法な範囲で主張するのに問題があるのだろうか?

選挙が責任転嫁? 確かにそういう見方が出来るかも知れない。しかし そう言う見方をしてしまうと悲しくなってしまわないか?

責任転嫁ではない。委任制度だと 自分は考えたい。

反対運動を対象に非難するのは 難しいと思う。非難すべきは 特に自分は関係ないが何となく、皆がしてるからという中流意識で望む輩ではないのだろうか?

かういふご意見を頂けるからこそ、雑念雑記――ひいては高天原の存在意義があるのである。「議論のためでない意見」の價値など、久樹は認めない。といふより、全ての意見は議論がための意見である、と私は思ふ。

繰り返すが、反対意見を言ふのは構はない。ただ、ヴィジョンなき反対意見に、意味はあるのか? といふ点。例へば、原発反対論者の中には、「ぢゃあ都心に原発を立てろ」と言ふ人がゐる。これは感情論としては有効であるが、政治論として全く意味を持たない。公共の福祉――といふより、民主主義といふのは「最大多数の最大幸福」の原則から成立してゐる。そして最大多数からあぶれた者のために、社会権といふ名の救済が用意される。救済の具体的内容は、つまるところお金、補償金である。全てを金で解決することに反感を持つ人は多いが、実際、最も公平で、最も社会的で、最も分りやすい救済はお金以外にないのである。

また、如何なる事情があったとしても、その人が現況の職務を放棄して運動に加はることは、決して「善い」ことではない。典型的な例は今フランスで行はれてゐるストライキであらう。何故なら、そのために政治家と言ふものは存在するからである。委任制度。確かにその通り。委任とは、権利を預け、任せるといふ意味である。社会は分担によって成立してゐる。政治は政治家に任せ、土木は土木屋に任せ、通信保守は通信屋に任せるのが普通である。だから、その内容に対して私たちは不満を言ふ権利がある。しかし、舵を取って無闇に指針を蛇行させるのは如何なものか、と思ふのである。普通なら、「ぢゃあお前がやれよ」といふことになるだらう(但し、学生には選挙権がないので、厳密にはこれに当てはまるまい)

過酷な状況下に置かれてゐる人間には、然るべき機関に訴へる権利がある。また、強いる側も相応の補償と説明の責任がある。だが、「これこれかういふ理由でこれが妥当な案なのです」と説明の責任を果たしたにも関はらず、「信用出来ない」の一点張りとは如何なものか。勿論、それでも不満を言ふ権利はある。あくまでも犠牲者であるのだから。だが、最終的にそれを強行突破するのもまた、政治の責任であることも事実である。結局委任する側は、さういふ「汚れ役」を政治家に押しつけてゐるのである。汚れ役である上に、叩かれ役でもある。正直に言って、真面目にやってここまで報はれない仕事もないのではないかと思へるほどである(邪な輩が同身分である分余計に)

だが、それらは全て当事者間の話である。よく分らないのが、当事者を超えて全く関係のない人間までいつの間にか関はり出す事である。はっきり言って、自らの職務さへ全うできない人間が、少なくともその職務を全うしやうとしてゐる人たちに対して罵詈雑言を浴びせる様は、見るに堪へられない。そんな光景が繰り返される度に、「かういふ人達は支持出来ないな」との思ひを強くする。「相手が間違ってゐる=自分が正しい」とは限らない。変に便乗して騒ぎを大きくして、風評被害を初めとした障碍をもたらす方が、もっとたちが悪いのである。

反論は、あくまでも(出来れば為政者側よりもなほ)冷たく、理論的であって欲しいと思ふ(願ふ)。その結果絶望して、「それでも希望を持つ」のは単なる楽観論者、「もうおしまひ」だと挫折してしまふのは単なる悲観論者。どちらも、考へることを放棄してゐる点では同質である。絶望して、絶望して、そこからなほ考へることを止めない人が、一番凄いと私は思ってゐる。もし自分が被害者となったときにそれが出来るかどうかは分らないが、少なくともさういふ努力はしたいと思ふ。

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付け加へておくと、権利にはその権利を行使する権利と放棄する権利がある。選挙に行かない連中を非難する権利が、選挙に行った連中に自然発生すると考へるのはをかしい。

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開発の話ついでに言ふが、だいたい、どんな開発においても、一番被害を被るのはそこに住む動植物達だ。人は金や謝罪で弁済も効くが、あとの動植物など無視も言ひところ。そっちの方が余程かはいさうである。

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結局、新幹線や高速道路を寄こさうとかける政治的圧力も、原発やゴミ処理場建設に反対するための政治的圧力も、根本は同質である。民主主義は最悪の政治であるが、今まで存在したいかなる政治体制よりもましである。とは実に言ひ得てゐる。そして、政治運動は往々にして次なる悲劇の温床となる。

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言ひ加減しつこい程の蛇足だが、私は農村と都市部で選挙権の格差が生じるのは、憲法違反であっても、むしろその方が良いのではないだらうか。例へ一個の人間とした場合にそれが不平等であっても、都市と農村といふ絶対的な人口差を考へれば、ある意味当然のやうに思へるのである。マイノリティが選挙において発言権を持つのは、少なくとも「即悪」とは言ひ切れない一面があると思ふ。

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尤も、別に私はこの件に関して政治的問題云々を言ひたかった訳ぢゃないんだけどね。それでやたらぐだぐだになってしまったから、これについてはまた仕切り直して考へたい。

それにしても、この手の類の話は、考へれば考へるほど自分が嫌な人間に思へてくる。大なる悲観は大なる楽観に一致するを悟る程、私は聡明ではないのです。

コピーコントロールの果てに残るもの

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正直言つて、記録メディアがどんどん駄目になつて行く、と言ふか、どんどん次世代メディアに交替して行くやうな状況で、DVD-Rとか-RAMとか-RWとか+RWとかに記録する事をユーザに要求するDVDレコーダは最う魅力が無いんだよな。RDのやうにネットワーク經由でコピー出來るのが良いのだけれども、例のデジタル放送の場合、それが出來ないから問題。CPRM對應のDVD-RAMかDVD-Rにしか保存しちや駄目、つて何うよ。要は「TV番組は保存するな」と云ふ事なのだらうけれども、後世に殘せないやうな形で發信される文化つて何なのだらう。

今回は記事化を意識した文章。多分手直しゐるだらうけど。

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日本のアニメは世界に誇れる文化だ――と、胸を張る人とがゐる。私はあまりアニメを見る人間ではないが、たまに見たいと思ふときもある。大抵、それは放送が終了したアニメであり、レンタルビデオ屋などから借りてきて観ることが多い。そこで「成程、これは良い作品だ」と思へば、ダビング(複製)して手元においておきたいと思ふとする。が、それは必ずしも成功しない。コピーガードがかかってゐるからである。データを手元におくためには、放送された時点で録画しておくか、高い(ビデオで約5千円程)金額を支払って販売品を購入するかのどちらかを選択しなければならない。ところが、ビデオ自体が廃盤になってゐることもある。さうなれば、もはや手に入れる手段は個人間の中古オークションしかなくなってしまふだらう。

さらに最近では、放送時にまでコピーガードをかけ、録画を制禦しようとする動きがある。所謂デジタル放送では、コピーコントロール(コピーを禁止したり、制限したりすること)はかなり厳しく、実質、複製は不可能らしい。

感情云々を抜きにして、技術的に見ただけでも、これは非常に深刻な事態ではないだらうか。現在、アニメや音楽などのコンテンツの流通メディアとして主流なのはCDやDVDといった光ディスクである。しかし、光ディスクは原理上、記録データは数十年ほどしか持たないと言はれてゐる。ネットで配信した場合はHDに記録されるが、HDの寿命に至っては長く見ても5年までである。それが壊れてしまへば、もう二度と中のコンテンツを見ることは出来なくなる。データの二重、三重バックアップの重要性がこれほどまでに叫ばれる中、肝腎のデータ側の業界は、何故全く逆の道をひた走るのだらうか。

おそらく現状のままでは、40年後、40年前のアニメを観ることは非常に困難になってゐるだらう。高額な著作権料を支払い続けた者のみが、古きよきアニメを楽しめる時代が来るのである。後世の人間に残せない文化に、いったい何の意味があるのだらう――あるいは、アニメは、本当に文化となり得るのだらうか。

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政府内にも、この現状を問題視する声はあるらしく、著作権法や産業保護との兼ね合ひから議論が進められてゐるらしい。尤も、どのみち本質的な――コピーコントロールは文化の継承性を阻害するといふ――問題は解決しさうにはないが、とにかく少しでも良くなることを願ふばかりである。

そもそも、一番問題なのは、たとへ放送から70年が過ぎて著作権が切れたとしても、コピーガードを外すことは出来ないといふことである。メーカ側がそれなりに対処してくれるのであればまだしも、多分やらないだらう。結局、歌や漫画や小説なら紙といふ形で残るけど、紙に戻せないアニメや映画は、その時代に居合はせた人だけの流行り廃りに過ぎないのではないかと、私は思ふのである。

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ちなみに、頑強さだけを重視するのであれば、最高寿命なのはMO(光磁気ディスク)であり、メーカ側は50年は持つと言ってゐる。DVD規格であればDVD-RAMが一番らしく、30年は持つといはれてゐる。逆に最悪なのはDVD-RWで、下手に読み書きが出来る分かなり耐久性は劣るらしい。

もちろん、これは加速試験による推測値であり、保存条件次第ではこれを下回る可能性は十分にある。しかし、メーカ側はデータの損失について補償する気は全くないやうだ。したら潰れるだらうが。つまり、どうしようもないのである。

「CSSの閲覧用整形ガイドライン」を元に高天原のCSSを検証してみる

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先日哀さんが公開されたCSSの閲覧用整形ガイドラインを元に、うちのサイトのCSS(base.css)を検証してみることにした。以下はその結果と考察である(ちなみに、久樹は直接エディタによってCSSファイルを編集してゐる)


インデントは最も重要な整形要素の中の一つ。インデントが適切でないプログラムや XML 文書のソースは、読み難いばかりか構造の誤解すら招く。CSS も例外ではないので、正しく半角スペースまたはタブ文字でインデントしたい。

base.cssの場合、半角スペースを用いゐることでインデントはほぼ適切に出力されてゐる。

ルール間に空行を挟まないと煩雑になってしまう。(中略)行数が増えることを気遣うよりも、断片断片の読み易さを重視した方が良い。

これについては、久樹なりの考へとして、性質が共通する要素においてはつながりの意識を持たせるといふ観点から、h1-h6やタイプと子孫セレクタなどについては敢へて連続させるやうにしてある。但し何度かの修正によって細部まで規則が行き届いてゐない部分もあり、後で修正する必要があらう。

セレクタはコンマ区切りでグループ化して複数同時に宣言出来るが、コンマはクラスセレクタに使うピリオドと見た目が似ているため、まったくの空白なしに書くと判別し辛くなってしまう。(中略)横に並べるよりも改行した方が一瞬で「グループ化されている」と判断出来る。

なるほど、この点には気づかなかった。といふより、グループ化とクラスセレクタが同居する事態がそもそも滅多に起こらなかったため、かういふ必要がなかった、とも言へる。これについては今後改善した方が良いだらう。

インデントやプロパティ名前後・コロン前後のスペースが無いととても読み辛くなってしまう。

これもあまり意識してゐなかったが、成程尤もだと思ふ。

前後にスペースを挟んだ方が読み易い。

これは守られてゐる。何故なら自分自身がコメントを非常に多用するからである。

あるアットマーク規則以下のルールをインデントしないことで、そのルールに規則が適用されているのかどうかを一瞬で判別出来なくなってしまう。(中略)あるアットマーク規則以下のルールをインデントしないことで、そのルールに規則が適用されているのかどうかを一瞬で判別出来なくなってしまう。

今回のStyleの場合ではアットマーク規則が存在しないので何とも言へないが、今後使用していく上ではこのことを心がけるべきであらう。


あと、久樹独自の工夫としては、プロパティの並べ方を「特殊(displayなど)→マージン→背景→ボーダー→テキスト→フォント」とし、またセレクタも「全称→タイプ→子孫→子供→隣接→属性→クラス→ID→擬似」の順で配列することにしてある。実際、これだけで指定忘れ等をかなりの確率で防ぐことが出来る。

また、個々のスタイルを指定しない要素に対しても空のセレクタを設けてゐれば、スタイルを指定してゐるのかゐないのかが簡単に把握でき、新たに指定しようと思った際に便利である。

あとは、font、border、margin、backgroundなどの省略プロパティと非省略プロパティの書き方についても、何らかの独自基準があった方が良いと思ふ。例へ自分の場合と基準が異なってゐたとしても、ある法則によって統一されてゐれば、可読性は十分に向上すると思はれるからである。

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といふわけで修正。他のスタイルも若干修正を漸次修正の予定。今更ですけど、CSSのエラーをご指摘下さった方、どうもありがたうございました。

CSSってのは

CSSってのは、一体どこから教えるのが一番手っ取り早いのだらう。

普通に考へれば、「StyleSheetの原理→Cascadingと継承の原則→簡単な構文とセレクタの概略→ボックスの概略」と来て初めて具体的な話が出来るやうになるのであるが、そもそもそこまで理解出来てしまへば後はリファレンスなりなんなりを読みながらでも十分書けてしまふのであり、ここまでをいかに綺麗に理解して貰へるかといふところが、入門書として重要な要素になりさうな気がするのです。

しかしながら、今のWebにこの辺りをきっちりと、かつ分りやすく説明したサイトといふのは、正直言って殆どないと思ふ。何故なら、CSSには初心者の壁となる前提知識が多すぎるからです。

考へ方としては二つあるでせう。一つは、先ほど言った通り前提知識から解説していく方法。もう一つは、フォントの変更や行間の設定と言った具体的方法から徐々に前提知識を明らかにしていく方法です。

もちろん、結果として近道なのは前者です。しかし、ここにHTMLと同じ問題が発生します。初心者は基礎よりも応用から覚えたいものです。すぐにでも自サイトに取り込めるテクニックだけを求めるものです。となると、もういっそ予め遠回りを覚悟して貰って具体的手法から教える、といふあり方も、あるいは「あり」なのではないかとも思ふわけです(HTMLの知識は前提の前提なのでこれはないと困りますが)

一方、基礎からしっかりと覚えたいと言ふ人も当然ゐるでせう。今度のCSS入門は、さういった相反する要求に耐へられるやうなものにしたいと思ふわけです。出来るかどうかは分りませんけどね。

守り継いでこその文化

後世に殘せないやうな形で發信される文化つて何なのだらう。

さうだ、それが一番言いたかったんだ! 私が漠然と感じてゐた虚しさを的確に表した名句だと思ふ。

ポーションに発がん性があるのは道理である

注意

この記事では病気(がん)についてのネタ話をいたしますので、さういふ話を忌諱されたい方には、この記事は非推奨です。

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最近巷では、サントリー社から発売されたFFシリーズお馴染みの回復アイテム「ポーション」が流行ってゐるらしい。らしいといふか、流行りの類にとことん疎い私でさへ発賣日に買って飲んだのだから、これは相当なもんである。ポーション の検索結果のうち 日本語のページ 約 2,250,000 件中 1 - 100 件目 (0.14 秒) なんて結果も、さもありなんと言へよう。

で、このポーションについて、一部の方から「ポーションに含まれてゐる青色1号といふ着色料は、発がん性が疑はれてゐる、飲むのは危険ではないか?」といふ話が出てゐる。(参考:趣味のWebデザイン「ポーションと極東ブログ」) 化学物質過剰拒絶者の中には「ポーションは有害である」「発がん物質」と言った極論(疑はれてゐるだけで断定はされてゐない)までではじめてゐるやうだが、ここでFFTの畏国研究者(自称)たる久樹の立場から、きっぱりと断わっておく必要があらう。

ポーションには発がん性があるのか? ――あって当たり前である。

色々勘違ひされさうなので大急ぎで補足しておくが、ポーションと言ふものの性質をよく考へて欲しい。ポーションとは、即ち液中の不思議な薬効によって、切創、裂創、刺創、銃創、咬創、挫創に挫傷に熱傷に褥瘡に擦過傷、果てはだの疾病だの老衰だのよく分らない精神ダメージだのと言ったものまでたちどころに治癒してしまふといふ、現代医学を根本から否定する文字通りの万能薬なのである。

加へて、毒に対して投与した場合、体力は回復するが毒自体は消滅しない、といふ不可思議な性質まで併せ持つ。普通、一般的に薬といへば、「毒が消える→体力が戻る」といふ解毒先手の流れをとるのだが、ポーションの場合は「体力が戻る→戻った体力で毒を自己浄化する」といふ奇抜極まりない効能を発揮するのである。これにはコッホも野口 英世もびっくりであらう。

この性質から考へるに、どうやらポーションなるものは、不思議な霊力によって失はれた身体能力(あるいは精気)そのものを回復し、細胞分裂等の代謝を活性化、それによって諸々の傷病を治癒するものであると推測される。その証拠に、FFT-Aのポーションには聖属性が附与されてゐるし、死人や、自然治癒では回復不能(戦闘不能)なまでにダメージを受けた者や、石化した者には効果がない。また、元々精気の存在しない(それどころか邪気によって活動する)アンデッドにとっては、精気の附与は邪気による活動を著しく阻碍するものであるから、ダメージになると考へることも出来る。

さて、ここまで言へば筆者の言ひたいことが何となく分っていただけるだらうか。生物の細胞内にあるDNAは、その性質上、細胞の複製(コピー)によって少しずつ染色体が短くなり、老化が進行するやうになってゐる。また、コピー時に異常が発生すれば、異常なDNAを持った細胞――即ち悪性腫瘍(がん細胞)が生ずることになる。そのため、がん細胞が生ずる頻度は細胞分裂の頻度にだいたい比例する。飲酒過剰な人間が肝臓癌になりやすいのは、肝臓を常時フル起動(活発に活動)させ、細胞分裂を常人以上におこなってゐるからである(もちろん、これだけが原因といふわけではない)

もう一度話を戻さう。ポーションは代謝(細胞分裂)を活性化して傷病を治癒するものだとすれば、即ち、ポーションは細胞の異常分裂をも促進するともいへるのである。サントリーがもしその辺りの設定背景までもきちんと踏襲してゐるのだとしたら、サントリーの発売するポーションにも発がん性があるのは至極当然といへる。といふか、文句を言ふならこんな超劇薬を許可した厚生労働省に言ふべきである。サントリーは設定に忠実に従ったまでなのだ。

土台、ポーションをがぶ飲みする勇者たちにとっては、発がん性の話などどうでも良いのである。今まさに生きるか死ぬかの境地に生きるものが、何十年後の危険性を危惧するがために全滅の危機に瀕するのであれば、それこそ愚か極まりない行為であらう。

さう――いつの時代でもポーションが安價で大量に賣られてゐるのは、世界秩序のために自らの命を縮めてまで戦はうとしてゐる人たちに対する精一杯の応援なのである。FF6のダダルマーなど、その尖鋭ではなかったか。その誇り気高き勇姿に、筆者は涙を禁じ得ない。


一応いっときますけど、あくまでこれはネタですからねッ!

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なほ、件の青色1号の場合は、ADI(一日摂取許容量)が0〜12.5mg/kgとあり、100mg/kgの食塩と比較しても、それこそ何ピコグラムでどうにかなるような代物ではないので、そこまで過敏になる必要もないかとも思へる。但しカステラ、きなこ、魚肉つけ物、鯨肉つけ物、こんぶ類、しょう油、食肉、食肉つけ物、スポンジケーキ、鮮魚介類(鯨肉を含む)、茶、のり類、マーマレード、豆類、みそ、めん類(ワンタンを含む)、野菜およびわかめ類に使用してはいけません。と食品添加物シートには書いてあるので、ご飯と一緒には飲まない方が良いかも知れないし、全く無害といふわけでもないので、がぶ飲みすると言ふのも、世界を救うなどののっぴきならない事情がない限りはやめておいた方が無難ではある。

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ところで、今回私は敢へて発がん性などと交ぜ書きにしたのであるが、これは、がんは医学的には「がん=癌」ではなくがん≒悪性腫瘍≒悪性新生物⊃(癌≡癌腫∨肉腫)とのことらしいからである。

あと、青色号といふ言葉がよく使はれてゐるが、正確には青色1号といふのが正式名称である。非常に蛇足的な話。

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色々誤解を招きさうな表現を修正。

この文書の情報

今の「ブログ」に足りないもの

なんかやたら嫌みったらしくなってますが、一応言ひたいことはこの通りです。

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「ここリンク」と「■リンク」の違ひとは何かといふ話をしてゐたら、IRCで「確か昔『段落アンカー』辺りから論争になってたよな」といふご指摘。実は私もさう思ってはゐた。思ってゐたのだけど、あちこちのブログの「過去ログ」を見てもさっぱりそれが出てこない。出てこないと言ふか、多分精読したら出てくるんだらうけど、あまりにも記事が多すぎる場合は殆ど埋没してしまふ。

仕方がないのでぐぐる様に泣きついたところ、ありみかさんところの「段落アンカーは目に煩わしい」とか見つかったのですが、そっから先は相変はらず。といふか、2002年って、もうそんなになるんですか…。

結局、リンクの断絶とか引用元を示してゐないとかで、議論の本流を読むことは出来なかった。これってつまり、ウェブログの要たるログが全く使へないといふことではないのだらうか。


近年(?)であれば、北村さんところの徒委記がさとみかん方面の議論の集約場所になってゐるから、比較的読み返しはたやすい。場合によっては今から議論を蒸し返す事も出来るし、その際も、前回までの議論を振り返ることで、同じ話の繰り返しを防ぐことが出来る。でも、これはあくまでも第三者の善意によって手作業で成立してゐる形である。実際、件の議論は徒委記になかったがために検索が非常に困難であった。

つまり、さういった意見の集約のために必要な仕組みが、今のブログツールには存在しないのである。トラックバック機能によって、なるほど確かに言及文書へのアクセスは簡単になった。が、これは従来から「アクセス解析」によって手動で生成されてきたもの――例へば趣味のWebデザインの「逆リンク」など、あくまでも推察ではあるが――を単に自動化しただけに過ぎない。そしてなまじっか自動化したがゆゑに、スパムなどの介入する余地を生み出してしまった。昨今のスパムの蔓延の背景には、Webサイトの自動化によるものがあると断定できる。

ブログツールの普及以来、Googleの價値は相対的に下落し続けてゐる。今までは「日記」といふ枠内に収まってゐた文書が、自動リンクを生じるツールの普及によって、検索エンジンから相対的に「價値が高い」と錯覚されるケースが増えてきた。それでゐて、本来参照されて然るべき價値あるコンテンツは、所謂「ディープリンク反対論」によってさらに相対的に價値を下げられる。これは検索エンジンの存在意義からして危機的な状況ではないだらうか。

結局、Webにはログばかりがたまっていく。最近では見知らぬ言葉を検索しても、必ず大量のゴミ情報が紛れ込む。酷いときはGoogleキャッシュを参照しなければ本文の場所さへも分らないといふ有様である。で、苦労して参照した結果が単なる一行記事。まったく持って昨今のブログツールは有害と断ずるよりほかない。

何度も言ふが、ブログは所詮ログだ。何らかの議論があって、そのログがただそこにあるだけではなんにもならない。それなりにまとめて、或いは結論付いたものが無ければ、後生の人間は参照さへ出来ない。現況、ブログも日記も「読み返しづらいもの」といふ意味では殆ど同列である。

ブログを否定するわけではない。或いは議論をするだけであれば、ブログだらうが掲示板だらうがそれなりに有効であるし、そのための機能は今でも十分備はってゐる。だからこそ好い加減、言ふだけ言って終はりといふ状況から脱却を目指すべきではないか。ログでサイトは作れない。サイト構成としてCMSツールを用ゐるのは私もうなづけるが、そのツールとして「ブログ」といふ形が相応しいかどうかは、もっと議論する余地がある。


はっきり言へば、今のブログツールは軒並み駄目。レンタルなど論外。「ツールだからいつでも修正できる」なんて言ふが、だったら、いつか、なんて言はずに今すぐして欲しい。議論集約のためのツールなり語彙なりを定義して、それを普及させんと努めるべきではないのか。それはそれと隅に置きつつ「取り敢ずブログは素晴らしい。色々出来るし、色々出来るやうになるだらう」などと礼讃し続けるのはをかしいと思ふ。

土台、普及した後では既に手遅れだったのだ。普及する前に、きっちりと既存のツール(日記CGIなど)との訣別をつけてゐなかったからこそ、今日のやうなややこしい事態が生じてしまったのである。結果、中途半端なままの普及は、Webを2.0にヴァージョンアップさせるどころか、既存のインフラや通信資源さへも破壊してしまひつつあるのである。嫌な世の中になったものだね。

2

以前三宅さんが、古典的にはサイトオーナーが適正に分類した いはゆる目次ページを置いておくことが必要なのですが、利用率からいうとかなり小さい。 これは検索エンジンのカテゴリが Yahoo! を除いて ほとんど利用されないのと同じで、実態としては一部常連者向けぐらいのウエイトのようです。 もちろん無くても良いという意味ではなく、そういう傾向を現在のブログツールは反映しているのではないかと思います。と仰ってゐたが、かういふ「目的にそって一貫した記事を探す」際、そのやうなカテゴリはあった方が断然良いのである。

では何故その利用率が低いかと言へば、まづはブログのカテゴライズの階層が浅すぎる、あるいは貧弱すぎるといふ点がある。図書館的な旧来のWebサイトでいへば、[Web]と[独り言]なんてのは別サイトにしてゐてもをかしくないぐらゐだし、[accessibility]と[usability]の区分なんて、下手に分けてゐる分よけいにややこしくなってゐる。そんな大ざっぱな分類だけで、本当に目次としての需要が満たされてゐると思ってゐるのだらうか。

あと、これはもう、さういった一貫した記述よりも、大多数の記述から自分の都合の良い部分だけをつまみとるやうな形が、昨今の流行りだからと言ふよりほかない。数少ない一行記事だけを根拠にして、あるいはそれ一つがそれなりに完結した記事だけを見つけ出して、またうだうだと一行記事が再生産される。そして、それもやがて時の流れと共に膨大な数のログとして埋もれ、Web資源の澱になるのである。

Webに革命は起こらんよ。今のWebは進歩とともに朽ちていく一方だ。

3

だからこそ、これらの欠点を改善した新しい形のブログツールなりCMSツールなりが開発・普及されることを願ってやまないのだけれど、婆さんや銀杏はまだかのう。

まあといふよりも、私は、今のWebにはブログなんかよりも、mixiなどのソーシャルネットワーキング(SNS)系のサーヴィスの方が求められてゐるんぢゃないかと思ふ。

レンタルブログとSNSは、どちらもサイト構築サーヴィスといふ点では共通だが、実際はまったく反対の方向を向いてゐる。ブログはとにかく外へ外へと情報が拡散していく仕組みになってゐるが、SNSはひたすら内の中で完結できるやうになってゐる。となれば、一行日記に類するものはこちらのはうが相応しいはずである。さうすれば、うざったいスパムからはおさらばできるし、コメント炎上などの危険もない。おまけに簡単に読者を特定することもできる。実に理想的である。

昨今のSNSブームは、このWebにあふれかえったノイズ情報を駆逐する起死回生の救世主になるのではないかと、実は心密かに期待(切望)してゐるのである。

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「ここリンク」と「■リンク」の違ひとは何か

見出しをアンカーにしてゐるサイトでありがちなのが、「他所の『ブログ』の人がURLをコピーし易いやうに設けてあるアンカー」。「ブログ」の主宰者本人は「便利だ!」と思つて、他所の「ブログ」や「ウェブ日記」の中の人にも「設置しろ!」と言つて押附けようとさへするもの。しかし、「ブログ」をやつてゐない人間にとつて、そんなアンカーは情報としてノイズでしかない。「それ自身へのアンカー」=「クリックしても何も起きない、何處へもジャンプしないアンカー」=「只の閲覽者にとつては役に立たない・要らないアンカー」=「良く解つてゐない閲覽者にとつては混乱を惹起こす羂以外の何物でもないアンカー」。「ブログ」の世界の中の事しか考へない人は、只の閲覽者に對する配慮を屡々忘れる。

思ふのだけど、普段「ここ」とか「here」といった語句へのリンクは好ましくないとか主張する一方、「■」や「_」といった手法に対して何の疑問も抱かないといふのはをかしいと思ふ。

ぢゃあ、プリントメディアや読み上げメディアであればdisplay:none;が適応されるのかと思へば、さういふものでもないみたいだし、title属性での補完もない。見出しリンクにしても、title属性で「記事本体」とかなんとか、カテゴリリンクにしても読み上げの時は一箇所にだけまとめて表示とか、いくらでも改善のしやうはあるはずなのに、何故かツール利用者側には「これは良い」といふ確固たる信念がある模様。謎で仕方がない。

てるりんだけど、なんか質問ある?

1

真琴だけど何か質問ある ?等々、すっげぇ今更な話題をなんの前触れも臆面も出さずに始めるのが高天原クオリティ(嘘)

  • ただいまから、久樹に関する質問を随時受け付けいたします(実は前々から密かに受け付けてゐたといふ説はObsolete
  • 質問内容はプロフィールに関すること・関しないこと等、特に問ひません
  • 自サイトのブログ上、電子メール、掲示板、ミクシメッセ、ミクシコメント、IRC、メッセ、スカイプ、某ヲチスレ、電話、直接対話、公衆電波、精神感応、念話、虫の知らせ、風の便り等々、手段は特に指定しません。質問内容を久樹が認知出来ればOKです。
    • 但しあまりにアレだと久樹が認知できない場合があります
    • ブログ上の場合、サイトトップか雑記最新版へリンクしておくと発見しやすくなります。この記事に対する直接リンクは解析してません
  • 認知できても内容によっては久樹が答えない(答えられない)かも知れません
  • 一人何問でも受け付けます(まあでも30問とか40問とかこられると答へる気が衰滅するかも知れません)
  • 回答できる質問でしたら、この記事中で回答させていただきます
  • 質問及びその回答は久樹のプロフィールに追加されるかも知れません。しないかも知れません
  • 重複質問とか来たら泣くなあ
  • 一つも質問が来なかったらもっと泣くなあ orz
  • あ、あとこれを機会にマイミクになろうじぇといふ方も歓迎。歓迎ったら歓迎。

山岸さんからのご質問

叢日誌「久樹さんに質問」より早速頂きましたので早速答へてみます。

一番最近に読んだ漫画はなんですか?
少年漫画で言へば「BLEACH」。設定が結構面白い。ストーリーはこれから、かな。
少女漫画で言へば「夢のクレヨン王国」。シルバー王女ヤバ過ぎ。
その他で言へば「家裁の人」
一番気に入っている漫画はなんですか?
※何れも2006年3月7日現在の暫定順位
少年漫画部門:ノミネートなし(ドラゴンボールのピッコロ編まで、幽遊白書の暗黒武術大会編まで、ダイの大冒険のバーン融合前まで、るろうに剣心の志々雄編から縁編後半まで 等々。最初から最後まで最高だった例しがない)
少女漫画部門:姫ちゃんのリボン。少女漫画の王道です。
その他部門:MASTER KEATON。この人の腕はここで磨かれた気がする。
一番好きな漫画家はどなたですか?
この人のであれば何であれ取り敢ず買ふといふ基準で選考
少年漫画部門:藤崎 竜。何となく発想が好き。
少女漫画部門:ノミネートなし(水沢 めぐみ、さくら ももこ 等々)
その他部門:ノミネートなし(浦沢 直樹 等)

で、序でに私も質問を募集してみます。といふことですので、上記質問の「漫画」を「小説」と置き換へて質問してみます。

ご質問(2)

ミクシメッセージからご質問を頂きました。一応、名前は伏せておきます。

地味に年齢が気になります! 一体おいくつなのでしょうか。
今年で大人の階段を上りきります。んで、あとはまっさかさま(ぉ
といふわけで、20歳です。液体燃料が解禁になります。
FF以外でお好きなゲームがありましたら、是非。
以下久樹の中での殿堂入りゲーム(FF6・FF7・FFTを除く)
RPG:新・桃太郎伝説。何を言ってもシナリオとシステムが個性的で面白かった。ただ、セーブのタイミングによっては泣くゲームではありますね。番外で「MOTHER2」なども。
ARPG:ゼルダの伝説「ムジュラの仮面」 初めて「3Dグラフィカルぢゃなきゃこれは面白くないな」と思はしめたゲーム。番外で同「時のオカリナ」なども
SRPG:ファイアーエムブレム「聖戦の系譜」。エムブレム系はこれしかしてないけど、面白かった。
MMORPG:該当なし(番外でβ版時代の初代リネージュ。黎明期が一番面白いのはオンもオフも同じね)
SSIM:シムシティ4・SFC版クラシック、A列車で行こう4・6(究極に凝ってゐるか究極にシンプルか)
ACT:スーパーマリオ ワールドとヨッシーアイランド。久樹が軽快に操れる限界辺り。嗚呼、所詮は不器用の嘆き哉。
RLG:初代風来のシレン。不思議系で一番バランスがとれてゐた。逆に言へば、これ以上シンプルだと物足りないし、これ以上複雑だと面倒になる。難しいね。
ボード:桃太郎電鉄HAPPY。一番長くやったね。
パズル:初代パネルでポン。これ以上のパズルゲームはどうでも良い。さう言はしめるだけのゲームだと断言できる。
スポーツ:該当なし(番外にマリオテニス)

……ものの見事にSFCソフトが並んで折りますなぁ。あの頃は良かった。

どうもありがたうございました。

kahusiさんからのご質問

平成18年3月7日23時36分の日記 (kahusi.org)より。

何處の都道府縣にゐる?
兵庫県神戸市。聞かれてもゐないのにKOBEと答へてしまふ悲しい神戸市民。
PC或はMac(略)を使ひ初めてから何れだけ經ちましたか?
初めて触ったのは小学校5年だからかれこれ9年、使ひ出したのが中学3年だから5年。もうそんなになりますか。
今眠い?
いつも眠いです。

どうもありがたうございました。

ろばQさんからのご質問

ミクシコメントより。名前公開OKといふことなので公開いたします。

正かな(旧かな)を使い始めたのはいつですか? また、その切っ掛けはなんですか。
雑念雑記過去ログによると2004年10月17日(同20月11日)からの模様。あの頃は全ての見出しにIDをふってゐなかった。今でも多分、ミクシがなかったらああいふ形態が続いてゐただらうなあ。
きっかけは何を言っても「言葉 言葉 言葉」ですね。ValidなHTMLとほぼセットで認知されました。
正かなを使うのは、個人的な活動ですか? それとも他人に薦めたり、或いは日本の国語は正かなに成るべきだと思いますか?
正かな――といふか、そもそも私が書いてゐるのはもはや厳密な意味での「正かな」ではない(拗音・吃音を小文字書きしてゐる、等)のでアレですが、取り敢ず、伝統は尊ぶべきだと思ひます。
私はどちらかといへば、歴史仮名修正派であり、その立場から現代仮名遣を否定してゐます。でも、基本的には個人的趣味です。
W3Cの仕様に合致したHTMLを使い始めたのはいつ頃ですか? またその切っ掛けはなんですか?
雑念雑記過去ログより遙かに昔の話……といふと大げさですが、実際はZAQのスペースを取ったときぐらゐなので、2003年12月ぐらゐだと思ふ。まだ2年と少しだ。
HTMLにはちゃんとした書き方がある、と知ったのは所謂アクセシビリティ関連から。初めて見たときはあまり興味がなく放置。その後北村さんの曉に死すの経由(確か)でPC Tipsを発見し、改心する。最初読んだときはかなり愕然としたものです。
アマテルさんが (SGMLベースのHTMLではなく) XHTMLを採用する理由 (利点) はなんですか?
ローカルXMLより生成といふXMLの恩恵に与ってますから、可逆性を残す意味でXHTMLを採用してゐます。
利用する利点はやはり高い再利用性にありますね。あとは上位互換性。といふか、所詮自分が楽をするため。
尊敬する人は誰ですか?
久樹よりも優れたる能力を持った方はみんな尊敬してゐます。勿論ろばQさんもそのお一人。
とは言っても、久樹が無能なぶん殆どの世人が尊敬対象になってもゐます。おーあーるぜっと。
……多分不本意な回答だと思ふので後日改めて考へてみます。

どうもありがたうございました。

名無しさんからのご質問

電子メールより。

パネルでポン」に於いて、好きなキャラクタは居ますか。居ましたら名前を挙げて下さい。
ウィンディですね。風といふ属性も好きです。あとパパ(サナトス)とママ(コーデリア)も嫌いぢゃない。
「パネルでポン」の連鎖の最高記録は何連鎖ですか。
明確に数へてゐたわけではありませんが、所謂即死級(10連鎖以上)にはなったことがあります。でも、あんまり連鎖をつなげられません。連鎖よりは連打で勝負してます。
まあ、どう転んでもこんなん無理です。もちろん同時消しも・゜・(ノД`)・゜・
ニンテンドーゲームキューブ版「パネルでポン」をプレイした事がありますか。
見たことはあります。ゲームキューブは持ってゐないので…。アレはアレで面白くもあるといふ話ですが
ゲームボーイアドバンス版「パネルでポン」をプレイした事がありますか。
ないです。携帯でパネポンは色々難しさうなので…。
「MOTHER」に於いて、好きなキャラクタは居ますか。居ましたら名前を挙げて下さい。
MOTHERはやったことないんです…。もういっそFC買はうかな。
「MOTHER 2」に於いて、好きなキャラクタは居ますか。居ましたら名前を挙げて下さい。
どせいさん、アンドーナッツ博士、わるぶるモグラ、ブキミボール、オレナンカドーセ、なぞのゲージュツ、死の商人、ムーンサイドの中の人たち。
「MOTHER」に於いて、好きなBGMは有りますか。有りましたら曲名を挙げて下さい。曲名を御存じないのでしたら、どの場面で流れる曲かを教えて下さい。
マザツリーでしたっけ。あそこで流れる曲をネットで聞いて、気に入ってます。
「MOTHER 2」に於いて、好きなBGMは有りますか。有りましたら曲名を挙げて下さい。曲名を御存じないのでしたら、どの場面で流れる曲かを教えて下さい。
オープニングデモでの曲。ポーラスター幼稚園(解決前)での曲。フォーサイドでの曲。UFO系の敵とのエレキ系な戦闘曲。熱く燃える敵やNo3熊さんの時の戦闘曲。マニマニの悪魔との戦闘曲。ギーグとの戦闘曲。音の石の曲。
「MOTHER 1+2」をプレイした事がありますか。
ちょっとだけ触らせて貰ひました。
やっぱり携帯ゲームとは相性が合ひません。
ニンテンドウ64に於いて、「MOTHER 3」が開発中止になった事を御存じになった時はどう御思いになりましたか。
いや、正直アレなら止めて正解かと。
ゲームボーイアドバンスに於いて、「MOTHER 3」が開発が再開された事を御存じになった時はどう御思いになりましたか。
うーん、GBAかぁ…と。
「MOTHER 3」を購入されますか。購入されるとしたら、デラックスボックスを購入されるのですか。
一応購入予定。買ってもないのにうだうだ言へないし。買ふなら通常版かな。とか言ひつつデラックスの方を買うかもw

どうもありがたうございました。やっぱり私はパネルでポン症候群な人のやうです。

この他、ミクシにも何件か質問を頂いてをります。そろそろ念波とかスカラー波とか来ないかしら(危) ともあれまだまだお答へゐたしまするるる〜。


「熱く燃える敵」と書かうとすると「熱くえる敵」と変換された。まぢかよ。

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人は等しく死を選択する権利を持ってゐる:補足

1

人は等しく死を選択する権利を持ってゐるの続き。一部から言及を受けました、強姦などによる望まない妊娠云々の件について。


もう一度言ひますが、出産によって母親の生命(心身)が著しく脅かされる時、人工中絶(堕胎)は緊急避難処置として例外的に認められ得る。と私は言ひたいのです。

所謂「カルネアデスの板」ですが、誰しも心を壊してまで産む必要はない。もし自分の精神が持たないと思ふのであれば、躊躇なく堕ろすべきであり、またそれが許されるべきです。

言ひなほせば「堕胎は胎児の命を奪ふ大罪である。しかし、やむを得ない大罪もあり得る」といひたいのです。

だから私は、もし望まない妊娠をした人には「無理ならば堕ろすことも出来る(許される)」といふ。だが、間違っても「堕ろすべきだ」だの「堕ろした方がよい」なんてことは言はないし、誰も言ふべきではない。憎むべきは犯罪者であり、生まれ出る子供に罪はない。

ただ、産んでから捨てる(親権破毀する)ことだって出来るのです(もちろん、そのための施設は今後もっと拡充すべき)。子が生きたかったかどうかは、子自身に問ふべきです。他人がどうかう推察すべき問題ぢゃない。その結果がたとへ自殺といふかたちであっても、それは誰でもない、子自身が選んだ道なのです。


きっと、かういふ考へ方をする久樹は子を持つべきではないのだらう…。

でも私は、仮に望まれない命であったとしても、この世界に生まれてきたかっただらうと思ふ。

2

それにしても、この手の問題は考へれば考へるほど鬱屈してくる。誰しもが、心優しく恵み豊かであればそれが一番なのに。

かういふ時、「ありのままに」は心にしみる。

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不思議鯖

調べ物をしてゐる時に偶然、http://tolivito.hn.org/にアクセスしたら、何故かうちのサイトが表示されてかなり焦った。

少なくとも私はそんなドメインを取得した覚えはないし、更新にも瞬間で対応。おまけに公開されてゐないものやアクセス不能なもの(.htaccessなど)まで取ってゐるのだから驚き。慌てふためいてIRCで泣きついたところ、「127.0.0.1にアドレスふってるだけぢゃん」言はれて、改めて自サーバを切ってアクセスしたら表示されず…。つまり、鏡に映った自分の姿を見て「ドッペルゲンガーだ!」と騒いでゐるやうな状況だった模様。普通気付よ。それぐらゐ…… lllorz

せっかくなので、うちもそれっぽいのを置いてみた。http://www.takamagahara.info/xxx/xxx.htmにアクセスしますと、自鯖を押っ立ててゐる人は久樹の味はった気分の数‰ぐらゐは解るかも知れません(こちらはリダイレクトするだけだから、表示アドレスは変はるけどね)

まあともあれ、各所で騒がれてゐるdiary.pahoo.orgにアクセスするとd.hatena.ne.jp/が表示される問題の仕組みは良く理解できた。

めった斬りにされました

件の解説について、サイト上、メール上、メッセ上、IRC上等々、期待をはるかに上回るたくさんの方からのフィードバックを頂き、ぶった斬りどころかめった斬りにされた感が個人的に漂いまくってますが、いやいや、そのおかげで、少なくとも大嘘を吹聴するやうな屑解説にはならずに済みました。

実際、冗談抜きで「これでフィードバックこなかったらどうしよう」と思ってゐたわけです。「見落とした間違ひなんていくらでもある……」さういふ思ひはありましたから、これで反応がないって事は「きっと駄目すぎて見捨てられたって事だよなァ……」なんて考へてゐたわけでして、ともあれ、宝石だって正しく切り刻むことで製品に仕上げるといふのだから、まあ少なくとも(宝石なんて大層なものでなくとも)原石ぐらゐの価値はあったのかなあとホッとしてゐるところであります。

それに、指摘されなかったら今後もずっと誤解してゐたであらうやうなご指摘(数値文字参照の話とか)なども頂き、これだけでも久樹の覚書としてや知識の再整理といふ意味での目的は十分に達成できてゐると思ってます。

みんなありがたう。をかしい箇所の指摘はこれからも大募集だよー。

作ってみた

1

前々から書いては消して書いては消してきたHTMLの解説。必要とされるかどうかは不明だけど、せっかくそれらしい形になったのだから、公開してみる。

といふわけで、フィードバックとかぶった斬りとか大歓迎。

2

正直なところ、HTML みたいな機械相手の仕様にうつつを抜かしているのは馬鹿。 初学者には文書の書き方という基本(基礎知識)を教えた方が余程応用が利く。 マークアップなんぞ「事務屋」にでも任せておけば宜しい。 あるいは外注も出来る。 Web を見れば、引き請けたがっている業者さんがたくさん居る。 また、HTML はどういうわけか突っ込みたがる「論者」が多いので、そんな人たちに任せておいても良い。

HTML の説明となり得るのは HTML 仕様書のみでありまして、これ以外は全て「自家版解説」です。 割り切って主観を交えて書くのもアリ。 Web にある、というだけなら誰も知ったことではない。 初学者が間違った解説を読むと混乱するという「正義感」も解からなくはないけれども、それを言うと Web には「正しい」ものしか置いてはいけないことになる。 これは検閲と同じこと。

初学者のために、ではなく、自分のために HTML の理解を深める。 そのための HTML 解説であれば正しい。 仮に仕様書に反する間違いがあったとしても、たいした問題ではない。 次なる高みを目指して自分を研鑚する姿勢が正しい。 というわけです。

ええと、『ぶった斬り』 の積りはないけれども、「正しい HTML 解説」なら既にある。 そこへリンクでも貼っておけば良いのでは。

少し三宅さんらしからぬ指摘であるやうに思へる。

技術屋が正しい技術を既に使用してゐる、或いはさういふものをしっかり学んでゐるのであれば、もう少しWebは良いものになってゐる筈であります。が、実際さうならなくても商売は成立します。だって「聞こえが良い」だけでちっとも需要がないから。或いは、対投資コストと比較して見返りが少ないと言ひ換へるべきでせうか。ともあれ、これはこれで商業的には正しい姿勢です。

しかしながら、当たり前の話ですが、我々のやうなごく普通の一般人は、自分のサイトを外注なんてしません。何故ならそれは趣味で作るものだからです。自分の趣味で作る物ぐらゐ、自分で作る。日曜大工と同じです。そりゃ、本職に任せた方が良いに決まってます。しかし実際、日曜大工といふのは今でもいたるところで行はれてゐます。

じゃあ、日曜大工をする者が技術仕様を読むかと聞かれれば、そんなことはない。読むのはどこそこにある「日曜大工入門」とか銘打った書籍なりWebサイトなり、とにかく「完璧な正しさ」よりも「わかりやすさ」を優先させたものです。で、陥るのはわかりやすさゆゑの落とし穴です。

初学者は必ずしも「正しい」事を求めてゐない。分ればよいのである。その点において、仕様書の文章を読ませると言ふのでは私は意味がないと思ふ。仕様書は正しい。しかし、正しいとわかりやすいは必ずしも一致しない。

私は今回、あくまでも「正しい」といふことを全面に強調しなかった(前に消したやつは正しい正しいと言ひ張ってゐた)。シンプルで合理的であることを強調した。それは、「料理のちょっとした下ごしらえのコツ」であり、「掃除用具の便利な使い方」であり、さういふ、あるものをより効率良く利用するためのものです。仕様書は技術屋のためにあり、技術屋の書く解説書は趣味人のためにあるものです。私の想定した読者は技術屋ではないし、商売をしたい人でもない。

それにつけて、今Web上にあるHTMLの解説は、いづれもある意味で優れ、ある意味で劣ってゐます。そりゃさうです。解説なんてものは書く人によって千差万別です。書き方も違ふ。切り込み方も違ふ。そして、それを理解する側もまた違った印象を受けます。「初心者英語入門」などと一緒。ある解説だけでは理解しきれない知識は必ず出てきます。それは対象とする仮想読者層が異なるからです。だから、私は私なりに理解してきた順に教えてゐます。私が理解してきた順であれば、少なくとも一つの前例があることになる。多くの解説があって、それを「摘み読み」して、理解していく事だって十分にあり得ます。そのためには前例は多くあった方が良い。

第一、もしHTMLなんて知らないで良いと言ふのであれば、それこそブログツールなりなんなりの使ひ方を教える方が余程簡単です。しかし、ブログツールの使ひ方なんてものを私が解説してもなんの意味がない。私はそんなツールを使ってゐないのだから。同じく文章の基礎知識なんてものも、さういふのが得意な人に任せればよい。私は、ブログツールや文章作法については詳しくなくても、HTMLやCSSに関してはそれなりの知識があるからHTMLやCSSの解説を書くのです。でなければ、一体なんのためのWorld Wide Webと言ふのでせうか。

いや、だって私も初めから仕様書を読んだわけぢゃないし。とある解説サイトをとっかかりにして、その上で仕様書を読んだくちです。だから、解説書の需要は自分の経験から基づいたものです。三宅さんは初めから仕様書を読んだのでせうか。それはそれで堅実かつ堅実ですけど。


ところで、それを言うと Web には「正しい」ものしか置いてはいけないことになる。これは検閲と同じこと。と仰るのですが、そもそも検閲っていけないことですか?

けんえつ【検閲】
(1)基準や規程にあっているかどうかを調べあらためること。
(2)書籍・新聞・映画・放送あるいは信書などにより表現される内容を、公権力が事前に強制的に調べること。憲法により禁止されている。

私が言ってゐる検閲は前者の方です。で、改めて聞きますが、XMLパーサは処理を始める前にまづXML構文を検閲するのですが、これは良くないことなのでせうか?

正しい思想を強制する検閲は断固否定すべきですが、正しい構文を強制する検閲は広く一般的に行はれてゐる。例へば出版社は原稿の書き方をある程度「強制」する。懸賞の応募用紙など検閲だらけだ。むしろ、好い加減な構文が出回る方が余程迷惑だと思ふのですが、いかがでせうか。

もちろん、型破りなものが時折「ウケる」ことはあります。年賀状をわざわざ切り刻んだりビーズを貼ったりして定形外郵便として送る人もゐます。しかし、それと正しい方法を広めることとは、また違ふ次元の話ではないでせうか。


話のついでにお聞きしますが、「専門的なことは専門家に任せるべき」といふご意見は私も同意します。が、「立法のことは政治家に任せるべきか」といふ点で考へれば、なんだか私にはあまり信用出来ない気もします。

もちろん、そこらの酒呑みおやぢが法律論を喝破したところで世の中は絶対に動かない。しかし、W3Cはフィードバックをいつも募集してますし、さとみかん方面にはW3Cに意見を言へるぐらゐの英語能力を持った方が何人もゐます(遺憾ながら久樹にはありません)。さう言った人たちとそれなりに建設的な話をすることは、決して無駄なことではないと思ふのです。――まあ、宗教的な話をしてゐるやうぢゃ全然駄目ですけどね。


ご指摘は大感謝なのですが、以上の点を疑問に思った次第です。

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宇宙は万人に等しく開かれてゐるべき

今日帰りしな、いつもながらお世辞にも趣味が良いとは言へないH.I.S社の広告をぼんやり見てゐたところ、なんと月の土地プレゼントなるトンでもない記述にぶつかった。

瞬間、脳内は嘲笑の渦に満ちる。地球人による天体の所有は「月その他の天体を含む宇宙空間の探査及び利用における国家活動を律する原則に関する条約(所謂宇宙条約)」によって禁止されゐる。ああ、私が知らないうちに今日は4月1日になってゐたのかな。永田議員の話で散々たたかれてゐる中で、そんなことを堂々と言ふのはどういふ神経だらうか。

で、帰宅後改めして調べてみると、H.I.S関西の言ひ分は月の土地は(株)ルナエンバシージャパンが販売している商品であり、エイチ・アイ・エスがその権利を保証するものではありません。とのこと。ああ成程、責任放棄。といふわけでそのルナエンバシージャパンなる怪しい会社の公式サイトを参照したところ、以下の通りに主張してゐた。

月の土地を販売しているのは、アメリカ人のデニス・ホープ氏(現アメリカルナエンバシー社CEO)

同氏は、「月は誰のものか?」という疑問を持ち、法律を徹底的に調べました。すると、世界に宇宙に関する法律は1967年に発効した、いわゆる宇宙条約 しかないことがわかりました。この宇宙条約では、国家が所有することを禁止しているが、個人が所有してはならないということは言及されていなかったのです。

この盲点を突いて合法的に月を販売しようと考えた同氏は、1980年にサンフランシスコの行政機関に出頭し所有権の申し立てを行ったところ、正式にこの申し立ては受理されました。

これを受けて同氏は、念のため月の権利宣言書を作成、国連、アメリカ合衆国政府、旧ソビエト連邦にこれを提出。この宣言書に対しての異議申し立て等が無かった為、LunarEmbassy.LLC(ルナ・エンバシー社:ネバダ州)を設立、『月の土地』を販売し、権利書を発行するという「地球圏外の不動産業」を開始しました。

さらに詳しい主張はアメリカルナエンバシー社の権利に対する主張とやらに要約されてゐる。

まあ、筋としては間違ってゐない。が、異議がない=認めた、といふことなのだらうか。確かに「月その他の天体を含む宇宙空間の探査及び利用における国家活動を律する原則に関する条約」とあるので、対象は主に国家であることは間違ひない。加へて宇宙条約第二条によると、月その他の天体を含む宇宙空間は、主権の主張、使用若しくは占拠又はその他のいかなる手段によつても国家による取得の対象とはならない。とされてゐる。まあこれもルナ社の言ひ分を認めることになる。

が、もう少し詳しく見てみると、第一条の基本原則では、 月その他の天体を含む宇宙空間の探査及び利用は、すべての国の利益のために、その経済的又は科学的発展の程度にかかわりなく行われるものであり、全人類に認められる活動分野である。月その他の天体を含む宇宙空間は、すべての国がいかなる種類の差別もなく、平等の基礎に立ち、かつ、国際法に従つて、自由に探査し及び利用ができるものとし、また、天体のすべての地域への立入りは、自由である。とある。さらに第十二条では月その他の天体上のすべての基地、施設、装置及び宇宙飛行機は、相互主義に基づいて、条約の他の当事国の代表者に開放される。とされてゐる。

言ひ方を変へれば、所有権を主張するのは勝手だけど、その土地には自由に入れるし勝手に利用させてもらふよといふことになる。これはつまるところ自己の欲するままに、物の使用・収益・処分を自由にすることのできる物権といふ所有権の原則と極めてかけ離れてゐるし、そもそも、財産権には公共の福祉による制約が加へられてゐる。

さらに第六条によれば条約の当事国は、月その他の天体を含む宇宙空間における自国の活動について、それが政府機関によつて行われるか非政府団体によつて行われるかを問わず、国際的責任を有し、自国の活動がこの条約の規定に従つて行われることを確保する国際的責任を有する。月その他の天体を含む宇宙空間における非政府団体の活動は、条約の関係当事国の許可及び継続的監督を必要とするものとする。国際機関が月その他の天体を含む宇宙空間において活動を行う場合には、その国際機関及びこれに参加する条約の当事国の双方がこの条約を遵守する責任を有するとされてゐる。

ついでに言へば、月はどの国家の所有物でもないので、「所有権を主張するのは勝手だけど、誰がその権利を保障してくれるの?」といふ疑問がある。「月の憲法」なんてものを配布してゐるからには、多分ルナ社が国家の代行といふやうに見なすことが出来るが、これは宇宙条約違反である。

まあ1兆歩譲って合法と言ふことにしよう。といふことは、ルナ社は自社の所有する月面及びその他天体の公共インフラを整備する必要があるし、もし突然米国が権利を主張して交渉を始めれば、ルナ社が責任を持ってその外交費用を負担しなければならないし、よしんば交渉が決裂し、経済制裁としてスペースシャトルの提供を止めるやうな事態になれば、月経済・火星経済は簡単に破綻するものと思はれる。

非合法であればもっと悲劇的だ。何せ公共インフラを提供してくれる存在が一切存在しない。全て私有企業が行はなければならないのである。電気も水道も交通も公安も社会保障もさうである。さらに法律なんてものも存在しない(存在し得ない)のだから、万が一裁きにかけやうものなら不当虐待ものの事態であるし、さうすれば国連安保理が「抑圧された月市民をどうたら〜」とか言ひ出して攻め込む可能性が高い。おお恐ろしい。新羅カンパニーは実現するやも知れないのか。

どうにも怪しさに満ち満ちた商売である。これなら「月にいく」と明言した堀江氏の方がまだ信頼出来るといふものだ。

なほ、ルナ社は月の個人の所有権の規定はないとしてゐるが、1979年12月5日に採択された月その他の天体における国家活動を律する協定(所謂月協定)によれば、

  1. 月及びその天然資源は人類の共有財産であり、この協定の規定とりわけ本条の5の規定に表現されるものとする。
  2. 月は、国家主権の主張、使用若しくは占拠又はその他いかなる手段によっても国家の専有にならない。
  3. 月の表面又は地下若しくはそれらのー部又は本来ある天然資源は、いかなる国家、政府間国際機関、非政府間国際機関、国家機関、非政府団体又は自然人の所有にも帰属しない。月の表面又は表面下に対する要員、宇宙機、装備、施設、基地、設備及びこれらの表面又は内部に接続する構造物の配置は、月の表面又は地下若しくはいずれの地域に対する所有権を生ずるものではない。この規定は、本条の5に述べられている国際レジームを侵害するものではない。

とされてゐる。単に米国が批准してゐないだけの話であり、規定がないわけではない。将来的にこれが批准された場合、ルナ社はそれ以上の権利主張は一切出来ないと言ふことになる(当然事後法の原則は適用されるが)

ちなみに、もしルナ社が倒産した場合、それこそ本当にこの権利を保障してくれるところは全くなくなってしまふ。ペイオフ解禁がどうのこうの言はれるこのご時世に、こんなものに手を出す人の気が知れない。


といふかですね、政府も国連もそんな戯言に付き合ってるほど暇ぢゃねぇんだよ


まあ、米国お得意のジョークアイテムとしては面白いかも知れない。

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